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寒さも佳境に入り、時に少しせっかちな風が少し春の香りを運んでくる昨今、皆さんはお元気にしていますか?

皆さんは祈りの人というとどのようなイメージがありますか?クリスチャンの方なら詩篇で熱烈に祈ったダビデや、真摯な愛を貫いたイエスを思い出しますか?仏教の人なら空海や百連かもしれませんし、歴史文学が好きな人なら蜻蛉日記の作者、藤原道綱母の少女時代を思い出すかもしれませんね。

今日はそのようなとある『祈りの人』の祈りを紹介します。異教異国の地で文字通り滅私奉公をしたクリスチャンの女性。後にノーベル平和賞を受賞し、その行動の証しは多くの人々の心を揺さぶりました。もう亡くなってしまったのですが、今その方に敬意をこめてここで掲載します。マザーテレサ氏の祈りに耳を傾けてみましょう。

『自己からの解放』

主よ、私は信じきっていました 私の心が愛にみなぎっていると。

でも、胸に手を当ててみて 本音に気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく 他人の中に自分を愛していた事実に。

主よ、私が自分自身から 解放されますように。

主よ、私は思いこんでいました 私は与えるべきことは 何でも与えていたと。

でも、胸に手を当ててみて 真実が分かったのです。
私のほうこそ与えられていたのだと。

主よ、私が自分自身から 解放されますように。

主よ、私は信じきっていました 自分が貧しい者であることを。

でも、胸に手を当ててみて 本音に気づかされました。
実は思いあがりとねたみとの心に 私がふくれあがっていたことを。

主よ、私が自分自身から 解放されますように。

主よ、お願いいたします。

私の中で天の国と この世の国々とが まぜこぜになってしまうとき
あなたの中にのみ 真の幸福と力添えとを 見いだしますように



彼女の敬虔さは世界中から評価されていました。しかし彼女はその賛辞の言葉に身を浸す事なく、謙遜に、かつ冷静に自分自身を見つめ、戒めています。

僕はこのような態度からはクリスチャンであるか、そうではないかに関わらず、何か学べるものだと思います。彼女の死から数年、世界は未だ混沌としています。その中でもせめて僕達が自分たちに宿題を課す事はできるのではないでしょうか?なにかを責める前に自分を戒め変える一歩を踏み出す、そしてクリスチャンであるのなら知識や言葉に依らずその行いで聖書を説明できる人間になりたいと思っています。

今頑張っているすべての人に祝福を、休ませている人には心地いい休息を、悲しむ人、憎む人には愛が与えられる事を心より祈って。
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2006.01.20 | Pray | トラックバック(0) | コメント(2) |

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