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皆さん今日は、溜息が白く視界を彩る昨今、元気にしていますか?

前回のコメントで後輩君が嬉しい事をかいてくれてます、後輩君ありがとね。

そこの記述にあるように他宗派の教会にいってきたんです。本来なら気がすすまないのですが、僕の大学一年以来の友人がヨブ記に関して説教をするというのでいってきたんですね。

とーーっても浮いてましたが

しかし彼も緊張のせいか話せなくなってしまい途中で話をやめてしまうんです。そしてかれが席に戻った時にその牧師が、もしかしたら牧師なりには牧羊なのかもしれませんが、かれにコメントするんですね。でもその中身が僕には許せなかったんです。

聖書から聖句を引用するわけでもなく、その割には『聖書がいうには人は不完全だから』とかその名の下に牧そうとしている。しかもそれは度をはるかに超えて彼に対する辱めに見えて仕方なかったのです。これはもう牧羊じゃないなとおもえたし、たとえ彼が終わらせていなくてもなんとか彼に拍手を与えたかった。ヨブ記をもとに聖書と解こうというこころがけが素晴らしいじゃないですか!たとえそれが硬貨2枚ていどのものであったとしてもそれは讃辞に価することだとおもったんです。(ルカ21:1~4 参照)

その理由もあって前にでて話したんですよ。このような状況は予知していなかったので勿論十分な予習や練習はしていませんが、それでもあそこまで話せたのは聖霊の祝福だと思ってます。

でもそこで僕が過去に伝えたヤコブ3:13やヨハネ第一3:18を思い出し『態度で示した』と思ってもらえるというのは嬉しいですね。そこまでは全く意識していなかったのですが(汗)

基本的に自分としても再確認の意味を含めて書いておきますね。

『あなた方の中で知恵と理解力のある人はだれですか。その人は、知恵に伴う温和さをもって、自分の立派な行状の中からそのわざを示しなさい(ヤコブ3:13)』

『子供らよ、言葉や舌によらず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。(ヨハネ第一3:18)』

クリスチャンはその言葉ではなく行動で示す事、行動による証詞が大切なんですね。

自分ではまだまだ至らないところが多いと思ってます、知識的にも認識的にもね。でもそう思ってもらえたのは本当に嬉しかった、あらためてありがとうね、後輩君(笑)

それではみなさんに今日も聖霊の祝福と加護がある事を祈って。
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2005.10.31 | Biblical memo | トラックバック(0) | コメント(0) |

風が頬をつき赤く染める昨今、皆様は元気にしていますか?

さて、唐突ですが質問です。みなさんは本をよみますか?

こんな質問をしたわけはね、今日ニュースを見たら子供の読書率が急降下中ってあったんですよ。高校生で月に本を全く読まなかったのは51%。高校3年生だと61%。

参考書なんぞよりも心に残る小説の方が数十倍価値があるのになぁ(ちらっと本音)

僕は小さい頃から本で育ってきました。うちの家庭は漫画やテレビには否定的だったのですが本にはとても肯定的だった。なんていったって小学生で買ってもらった本が

『源氏物語』『枕草子』さらには『相対性理論』等

とても10歳前後のこどもがてにつけるようなものではなかってですから(笑)そして中学になってからそれにはずみがつき、僕にとっての最大の娯楽とは読書でした。本を開けばいつでもそこには想像もしていなかったような世界が開かれていて、キャラクターの一人一人が僕の頭のなかで生き生きと演じる、これは僕にとってはいかなる視覚芸術をもうわまわるものでした。観客であり監督であり撮影者であり音声である映画、そんなのをみている感じでした。

僕は本を読む事は大切な事だと思います。僕らが一生のなかで経験できることってたかだか一人の120年分、どんなにがんばってもそれ以上の『人として』の人生は歩めない。でも本にはそのいろんな人のいろんな人生や、たくさんの年月を経て積み上げられた知識や、思想や、感情が含まれている、そうおもうとね僕はこう考えるんですよ。本を読む事って人生のケーススタディにも、非日常からの脱出にも、果てしない経験にでもなんでもなる!ってね。ある日君は探偵になり、ある日君は数学者になり、ある日君は大切な人を愛する人になり、ある日君は『世界は何故存在するか』をかんがえる哲学者にもなる。そしてそこで得た『経験』は将来まだ直接起きていないことに対するケーススタディにも戒めにもなるんじゃないでしょうか?

もし最近本を開いていないのなら、是非開いてみてください。そこには果てない世界があるはずだから。

それではみなさんが祝福にあふれた日を過ごしているのを心より祈って。

2005.10.27 | Days | トラックバック(0) | コメント(1) |

こんにちは、秋も深まり紅葉が頬を赤らめる昨今、皆様はお元気にしていますか?

最近アップができなくてすみません。時間的な制限もあったのですが、それ以上に信仰を揺らがす事があって、故に筆を控えさせていただいてました。気持ちに陰りがある状態で聖書のことを伝えるのは伝えるものとしてふさわしく無いと思い、その暗闇が消えるまではここに書くのを控えさせていただいてました。

でも自分ではね、疑う時間があって良かったと思ってます。友情や恋愛でもそうだと思うのですが、疑念と確証の作業を繰り返して初めて『不動の絆』がうまれると思います。すごく悲しい言い方に聞こえるかもしれませんが、真の絆ってそういう傷を乗り越えた上で、『それでも君はいてくれる』って思えた上で初めてできるものだと思うんです。そうしてただ『仲良く見える』だけではない『形の無い』ものがうまれるんだと思うんです。

僕の大好きなアーティストにゴスペラーズというコーラスグループがあるのですが、その中でもとりわけ有名な曲『永遠に』のなかに大好きなフレーズがあるんです、それはね

『かたちの無いものなら、壊れはしないと』

というところなのですが、この間、悩んでいた時に聖書を開いたらふと目に入ったのがコリント第二の4章18節のこのフレーズ、

『見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠だからです』

なるほどな、って思いました。というかゴスペラーズ実は聖書読んでいるのかな??(笑)

最後に確かめる行為をした自分にも、今確かめているかもしれない読者の君にも一つ、エフェソス5:10より、

『何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめなさい』

僕は神への愛ゆえに確かめることをするのだとおもってます、決して不信仰からくるのではなく。そして真理を求め祈る僕らは決して弱くないはずです。

『神はわたしたちに、臆病の霊ではなく、力と愛と健全な思いとの霊を与えてくださったからです。(テモテ第二1:7)』

と少し自分を勇気づけてみたり(笑)

それではみなさんが今日も祝福に満ちた時を過ごしているのを祈って。

2005.10.26 | Days | トラックバック(0) | コメント(0) |

長らくお待たせしました!『十戒と律法』のBiblical memoをアップします。

このあいだ『明日アップする』といってからしばらく経ってしまいました。ちょっと色々あってね、そのことは次のアップで書きますね。

で、十戒と律法なのですが中身が中身でとても大切なのと、一言で語れそうも無いことだから2、3回に分けてアップします、その方が多分理解してもらえるかなとも思うしね(笑)

さて、まずは質問の十戒とは何か、ということから説明させてください。映画や一般教養として存じ上げている方も多いと思うのですが、エジプトに奴隷として連れられて来たユダヤ人を神の名の下で救出したのが預言者モーセ、そして彼がエジプトを出た際にシナイ山で神から与えられた10の戒律を十戒といいます。具体的には出エジプト記の20章に記されていますが、カンタンに説明するなら

1、神を信じること。
2、偶像崇拝の禁止。(人が作った像を崇拝しちゃダメ)
3、神の名前(ヤハウェ/エホバ)を濫用してはダメ。
4、安息日(7日目) は休みなさい。
5、父と母を尊敬しなさい。
6、人を殺してはいけません。
7、姦淫を犯してはダメ。
8、盗みはダメ。
9、ウソをついてはダメ。
10、他人の家のすべて(伴侶、動物等)を求めてはいけません。

これがユダヤ教として最低限守るべきルールとなったわけです。この他にもユダヤ教では重要なルールとして食物規定(食べてはいけないもの、豚肉とかエビとかナマズとか)がレビ記の11章に書いてあり、他にもレビ記17章や申命記12:16等にある『血の規定』(血を飲んではいけない)、申命記12:17にある什一(収入の10%を寄付する)などがあります。これらは旧約聖書の律法五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、聖書に最初に含まれる5つの本です)に具体的に記されています。

と説明してて、あれれ、きづきました?これはユダヤ教の教えなんです。じゃあキリスト教はこれに従わなくていいの?ということになりますね。その質問は半分正解!じゃあ具体的にはどういうことか?一緒に考えていきましょう。

一般的に聖書をみると『旧約』『新約』と二つに分けられています。これは一体何を意味するのでしょうか?ここで使われている『約』という文字は具体的には『契約』を意味します。つまり旧約=昔の契約で新約=新しい契約となります。もっと現代的に表すなら旧約をアップデートしたものが新約となるわけです。つまり神との契約は新約(イエスの到来)によって更新されています。じゃあその具体的な論拠と聖句を見ていきましょう。まずはルカによる福音書の16章16節を開いてみてください。

『律法と預言者はヨハネまででした。その時以来、神の王国は良いたよりとして宣明されており、あらゆるたぐいの人がそれに向かって押し進んでいます』

これはキリストの直接の発言です。ここに出てくるヨハネとはキリストに洗礼を施した者です(使徒ヨハネではないですよ)。つまりキリストの洗礼を最後にユダヤ教はその発展系へと更新されるわけですね。それではその律法はどうなるのでしょうか?マタイ5:17を開いてください。

『わたしが律法や預言者たちを破棄させるために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく、成就するために来たのです。』

つまり、律法は破棄されていませんね。じゃあ全部そのまま残るのでしょうか?それとも何らかの形で更新されたのでしょうか?

次回を待て!!!(笑)

2005.10.26 | Biblical memo | トラックバック(0) | コメント(0) |

みなさんこんばんわ、Tiです、お元気ですか?

今日はほんとは前から約束の律法についてアップしたかったのですが、思いのほか草稿が長くなり、恐らく2回に分けてアップしないといけないかな?と思ってます。とりあえず第一回目アップは明日を予定しています。律法って何かかんがえといてね。

で、今日は何を話すかというと、下の方に後輩君からのコメントと質問があったので、それに答えたいと思います。その質問とは

『何故黙示録はわかりにくくかかれているか?』

ということ。少し目を通してみればわかるのですが黙示録は聖書のなかでも特にわかりにくく書かれています。そしてその理由には諸説あり、一説には当時のローマ皇帝等にわかりにくくすることで迫害を避けるという理由、もう一つは最初から旧約的な物語として書かれていたという説等諸説混在しています。

恐らくそれは黙示録をどうとらえるかによって解答がかわると思います。一般的に黙示録には3通りのとらえかたがあり、それは

1、一世紀におきた迫害とキリスト教の拡大の記録
2、ヘブライ文学的に書かれた物語
3、ダニエル書などの系列に並ぶこれから起きることへの預言書

と、わかれています。個人的見解では預言書であると思っていますが、現代では1や2と見なす宗派及び学派が主流になりつつあるようです。このような混乱を過去に幾重にも巻き起こした書物なので何度も公会議で論議されてきた本です。

確かに読みにくい本だしおどろおどろしいイメージもあるけど(ハルマゲドンとかでてくるしね・・・)この本が最終的に言ってることは『幸せな将来の約束』なんです。なので、是非一度自力で読んでみてください。そして自分なりの見解をもって将来への確信をきづいていけたらいいなぁとおもっています。

それでは今日も皆さんに祝福が絶え間なく与えられることを祈って。

2005.10.17 | Biblical memo | トラックバック(0) | コメント(1) |

こんばんわ、Tiです。皆さん元気ですか?

更新遅れてしまいすみません、なんか忙しかったり大変だったりして(汗)

本当は今日律法に関してアップする予定だったのですが、少々変更箇所が出てきてしまい、今書き直している次第です。極力わかりやすく書いていくつもりなので、是非時間的に至らないところはご勘弁を(笑)

今日実は少しいい事があったんです。まぁ教授と仲違いするわ山のように論文あるわカーオーディオパクられるわ絵に描いたUnhappy daysを過ごしていただけあって嬉しかったです(笑)

それはね、カバンというかおおきめのファイルを買ったんですよ!

なんか、『その程度かよ~』っておもってません?チッチッ、甘いな、なんとこれは

聖書系の資料がすべてはいる魔法のファイルなのです!

どこへ出かけるにもこのファイル一つでオッケー、ルーズリーフと付箋もついてペン差しまでついているので筆箱とノートも持ち歩かなくていい!留学生的にいうならベリー便利です!なお、オ○ジギャグに関する一切の非難は却下します!(自覚済み)

でも肝心な問題が

聖書カバーがない・・・・・

いつも聖書を持ち歩くのですぐボロボロになってしまうんです。実際僕の今愛用している聖書はまだ使い始めてから2ヶ月ほどですがもう背表紙と本が一回はなれてしまい、のりで補正しながら使っています。だからいつかカバーが欲しいのですが、なかなかいいのが見つからない。大きすぎたり小さすぎたり・・・早くいいの見つからないかなぁ(笑)

でもこういう小さな幸せを毎日積み重ねるのっていいですね。疲れたときにこういう『小さな幸せ』があるとそれが時に『大きな安らぎ』になる。思い出すと微笑むことのできる一瞬、大切にしたいですね。

それでは皆さんが祝福と加護に満ちた時間を過ごしていることを祈って。

2005.10.16 | Days | トラックバック(0) | コメント(1) |

みなさんこんばんわ、Tiです。元気にしていますか?

今日は、学校も休み。でも仕事があったから朝車にのって出勤しようとしたときにちょっとしたハプニングがあったんですよ。今日はそれを踏まえ、休みの日の朝の一コマを物語風にお伝えします。(えっ?)

ちなみに言語感覚は著しく劣っているのでキツいツッコミはなしでお願いします。

優しくしてください。(上目遣いで)

それじゃあ、はじまり~~~。

爽やかな朝、雨上がりの重苦しい空気が僕の眠気と倦怠感を誘う。今日は大学は休みなのにインターンの仕事は昼から夕方まで入ってる。せっかくの雨上がり、スタジオにこもってコンピューターの画面とにらめっこというのは、正直最悪だ。友達と窓を全開にし少し離れたビーチまで車を飛ばしたかった、なんておもいながら道具一式と聖書がはいったリックを肩にかけ、部屋に鍵をかける。アメリカの寮の廊下は長い。心なしか少しづつ進む足が遅くなる感覚を踏みしめながら。

特に高級でもなんでもない車、友達から破格でうってもらった白い乗用車に手をかける。もう左ハンドルもなれたし、ウインカーの位置も間違えなくなった。アメリカで暮らしているということを体感するのがこの車に入る一瞬なのだ。キーイグニションをまわしエンジンを付ける。おかしい、いつもと何かが違う。もう乗り馴れた車、違いはすぐにわかった。その違いとは

ラジオとCDプレイヤーがねぇ・・・

(小説風はここまで、以下心の声)
このやろ~、人の車に入って、音楽を心より愛する俺からCDプレイヤーをかっぱらうとはいい度胸してるじゃねーか!おかげでマスタリングモニターができなくなっただろ!ホラお兄さん怒ってないから素直に出ておいで!ホラ!ホラ!ホラ!!!

つまりね、車のオーディオが盗まれました(TT)

確かにルカによる福音書6:28~29には求められたら与え、取られても返してもらおうとするなとは書いていますが・・・(泣)

皆さん、他人の物を無断で持っていくのはやめましょう(T0T)

それでは皆さんに聖霊の祝福のある一日が訪れることを祈って。

2005.10.12 | Days | トラックバック(0) | コメント(0) |

初秋の空が澄み渡り、風が少しづつ柔らかくなりつつある昨今、皆様お元気にしていますか?

最近更新が滞ってます、ちといろいろ忙しくて(汗)

まぁ目標としては2~3日に一度のアップとおもっています、でも大学が忙しくなったら少し遅れるかも(笑)

この後の更新予定としては

1、十戒と律法
2、祈りの続編

を聖書の中から、そして僕の個人的な手記として『真実とは』を書こうかなぁとおもってます。是非みなさんの意見も聞きたいのでもし少し時間があったらこれらのことについて考えてくださいね^^

さてさて、Prospective Informationはこの位にして、最近秋ですね~秋といえば・・・

1,食欲の秋
2,芸術の秋
3,読書の秋

が有名だとおもいます。食欲って言ったらやっぱり山菜ですよね、サツマイモ等もとれじゃがいもも美味しい時期。この頃になると日本に帰りたくなるんですよ(笑)

芸術の秋といえば何でしょうか?ミレーやモネの絵などは秋に見るにはいい感じだと思います。たまに美術館に足を運びそこで普段得れない『非日常』の時間を過ごすのもいいですね。心の糧になりますね^^

そして読書の秋。せっかくだから秋に読むのにオススメの本をすこしリストアップしておきますね。

1,『黒い兄弟』(リザ=テツナー)
2,『天使の卵』(村山由佳)
3,『一兵卒』(田山花袋)
4,『そしてだれもいなくなった』(アガサ=クリスティー)
5,『死の壁』(養老たけし)

1は煙突掃除夫として売られた子供たちの話、実話です、最後に大泣きできます(笑)。2はいろいろな心の壁を乗り越えていく恋愛のお話、これも結末で大泣きしました、なみだもろいのかな?3はもう助かる見込みのない兵隊が戦場でいろいろなことを最後に考える随想録。レマルクの『西部戦線異常なし』などとはまた違った雰囲気です。4はすーんごく有名なアガサの傑作推理小説。最後に「やられた!」っておもいますよ(笑)5は解剖医の養老氏が『死とは何か』徹底的に考えた本。文化差による死の概念の違い等も書いており他者他文化理解にはとても役立ちますよ^^

是非皆さんが有意義な秋を楽しんでいることを祈って、聖霊の祝福が皆さんに絶え間なく降り注がれることを。

2005.10.11 | Days | トラックバック(0) | コメント(0) |

時雨ふる神無月、すこし秋めく心地こそする昨今、みなさんはおかわりなく過ごしていますか?

今日聖書関連の本を読みたいと思ってオンラインブックストアをみていたんですね。厳密には旧約続編(聖書外典)をさがしていたんです。自分はそれを読みませんがやはりカトリックや東方正教会の方々と話すときに知識として必要かな?とおもって。相手を理解せずこっちのことだけいうっていうのはルール違反かな?とおもって。そしたら結構でてくるんですよ、個性的な聖書が(笑)

だいたい聖書は『~~~訳』や『~~~version』みたくカタいイメージがあるのに対し、個性派なのもたくさんあるもんだなぁ、少し紹介しますね。

小さくされた人々のための福音?四福音書および使徒言行録? 
本田哲郎訳(新世社・2001)

『大阪の釜ヶ崎で働くカトリック・フランシスコ会の本田哲郎司祭が、被抑圧者や被差別者など、「小さくされた」人びとの視点からイエスの福音をとらえた平明で斬新な翻訳。かつて上下巻で出ていた福音書と『小さくされた者たちの言行録』の合本で、付録つき。ほかに『コリントの人々の手紙』『ローマ/ガラテヤの人々への手紙』も刊行済み。』

ケセン語新約聖書1 マタイによる福音書 
山浦玄嗣訳(イーピックス大船渡印刷出版部・2002) ?5,600

『岩手県大船渡市に住むカトリック信者の医師が、岩手県の気仙地方で使われている方言(ケセン語)を使って訳した画期的な作品。「預言者」は「みことば持ち」、「洗礼」は「お水くぐり」、「福音」は「よい便り」など、日常の言葉で訳されている。訳者が考案したケセン式ローマ字と、一般の人にもわかりやすいよう漢字仮名交じり文の2通りで記述。『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』も刊行済み。』

参考ウェブサイト:http://forum.nifty.com/fbible/bibfaq02.htm

弱い人の立場に立った聖書って、著者がホントに聖書を理解してるな~っておもいます。ルカ5:31~32に書いているようにイエスやその言葉は弱い立場の人のために存在するのですね。参考聖句を下に引用しておきますね。

『(31)健康な人に医者は必要ではなく、病んでいる人に必要なのです。(32)わたしは、義人たちではなく、罪人を悔い改めに招くために来たのです』

岩手の方言エヂィッションって、なんかすごくよんでみたいですね(笑)でも、これを上回る聖書がありました・・・

なんと大阪弁訳が存在するのです!!

コテコテ大阪弁訳「聖書」 ナニワ太郎&大阪弁聖書推進委員会訳
(データハウス・2000) ?1,200

『「ホンマもんの関西人で翻訳された、ホンマもんの大阪弁」による「マタイはんの福音書」(抄訳)を収録。注釈つき。』

マタいはんって・・・(笑) 

ウワサによると『耳ある者は聞きなさい(マタイ13:43)』が『ええか、耳かっぽじってよう聞けよ。』になっているとか(笑)

これをつかって証詞しようとは思いませんが、読み物として読んでみたいです!

でね、なんとなく実験としてですが、僕の生まれ故郷、函館の方言を使って訳をつくったらどうなるのかなぁ、とおもってね、ちょっと実験してみましょう。訳を作るのは聖書でも恐らく一番有名なヨハネによる福音書1:1です。まずは原文を読んでみましょう。

『はじめに言葉がおり、言葉は神と共におり、言葉は神であった』

聖書の神性を証明する有名な節ですね。さて、これを函館弁訳にしてみましょう。どうなるかな?

『はんも、おめ、まんずはじめさ言葉さあってな、言葉はよ、神様といっしょでな、おんめ、言葉は神であったんだ』



神性さが極端に落ちた気がするのは僕だけですか?

ついでにここでトリビア、日本語聖書で一番最初に訳された節って実はこのヨハネ1:1なんです。1837年にギュツラフという人が日本人漂流船員の岩吉、久吉、音吉の助けを得てシンガポールで印刷したのが始まり。収録されていたのは『約翰福音之傳(ヨハネによる福音書)』と『約翰上中下書(ヨハネの手紙1.2.3)』でした。で、その始まりというのが

『ハジマリニカシコイモノゴザル』

なんか函館弁訳がインパクトで負けている気がして悔しいです(そういう問題か?)(笑)

今セッセと律法の原稿書いてます。さてクリスチャンにとって一番大切なルールってなにか、考えといてくださいね。あとは祈りの続きも近いうちに出しますので、祈りに関しても少し時間があるときに考えておいてください。

それでは皆さんが祝福と加護に満ちた時間を過ごしていることを祈って。

2005.10.08 | Biblical Joke | トラックバック(0) | コメント(0) |

皆さん今晩は、いい日々をすごしていますか?

ほんとはね、祈りの次は十戒ときめていたんだけど、下をみたら後輩君がコメントしていたので彼のことを少し(笑)

このサイトを作る直接のきっかけは彼というのは前にも言った通りなのですが、なかなかかわいい奴でして、よく『マジかよ・・・』とおもうような切れた質問をしてくれるんです。彼のおかげで勉強した事もたくさん、ホント感謝ですね(笑)

ホラ、人前でせっかくほめてるんだから飯おごれよ

というのは心に留めておいて、彼ねなかなか手強いんですよ。まず最初は聖書をしんじていなかった(恐らく嫌ってた)。それがおわったあとはキリストを信じてなかった。そして今は神様の実在性についてたまに話しているわけですが

実はこういう風に全てを信じず確証とるまで調べる、というのは聖書的なんです(まぁ最初から否定したければ僕の話も聞かなかったハズなわけですが、Good Jobだよ、N君(笑))

聖書を読む上で絶対してはいけない事は『妄信』です、常に確証をとる作業はクリスチャンとしては欠かせない事です。少し聖句を引いてみましょう、エフェソス5:10、テサロニケ第1 5:21、ヨハネ第1 4:1を開いてみてください。

『何が主に受け入れられるか絶えず確かめなさい。(エフェソス5:10)』

『すべてのことを確かめなさい。(テサロニケ第1 5:21)』

『愛するものたちよ、霊感の表現するもののすべてを信じてはなりません。むしろその霊感の表現を試して、それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。(ヨハネ第1 4:1)』

このように常に自分の信仰や行いを疑い確認していくことは大切なことなのです。『もしかしたら今の自分は間違っているかも』と思い、きちんと確認をしていく作業をすすめているんですね、決して『○○の権威のXXさんがこういったから』や『教会がこういったから』だけで信じちゃダメ、確認をとろう!ということですね。

僕もね、とても好きな聖書関連の本があるのですが、必ず読むときにはそのコメントが聖書に書いてあるかどうか確認しています。作者や出版社を疑っているわけではないのですが、それが聖書的か、意図的に書き足されたものなどではないか、等聖書を引きながら調べることは大切なことです。ついでにそういう風に『意図的に』聖書を解釈する人にも聖書はコメントしています。申命記4:2とガラテア1:8~9を開いてみましょう。

『あなた方は、わたしが命じている言葉に付け加えてはならず、それから取り去ってもならない。(申命記4:2)』

『(8)しかしたとえわたしたちや天からのみ使いであろうと、わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば、そのものはのろわれるべきです。(9)わたしたちが上に述べたとおりのこと、それを今わたしはもう一度いいます。あなた方が受け入れた以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明している者は、だれであろうとのろわれるべきです(ガラテア1:8~9)』

ちなみにこれらに関する、チョットしたクリスチャンジョークがあります。それはね、こういうことをする人たちには黙示録(啓示の書)の呪いがかかるというものです(笑)黙示録の22:18~19を開いてみましょう。

『(18)私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。(19)また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録(啓示の書)22:18~19)』


ヒェェェ・・・

テキトーなことを聖書の名のもとでいったらバチがあたるということですね(汗)僕も気をつけないと(笑)

後輩の紹介のつもりが自分への戒めになってしまった・・・頑張ります!(笑)

それじゃあみなさんが今日も祝福と加護に満ちた日を送っていることを祈って。

2005.10.06 | Biblical memo | トラックバック(0) | コメント(0) |

こんにちは、Tiです、元気にしいていますか?

さて、前回のBiblical Memoではクリスチャンってどんな人?という話をしましたね。今回は『祈り』ってなにかな?ということについて話していきましょう。じゃあ、まずそもそも祈りってなんだろう?って考えてみてください。何故祈るのでしょうか?何のために祈るのでしょうか?

さて、まずそれじゃあ祈りってなに?というところから考えていきましょう。祈りって何かな?

普段僕達が電話で話す時なければならない機械が二つあります。それはね、マイクとスピーカー。こっちから出した音を送る作業(アウトプット)をマイクを通して行って、相手の声を聞く作業(インプット)する作業をするときにスピーカーは必要です。さてさて、これを祈りに置き換えてみるとね

マイクから出す声=祈り
スピーカーから聞こえる返事=聖書、聖霊のたすけ(具体的には後述します)
話し相手=神様

となるわけです。つまりね、もっともっと簡単に言うなら

神様との直接の個人的なコミュニケーションが祈りなわけです。

じゃあ僕らは何故、そして何のために祈るのでしょうか?少し考えてみてください。

それについて聖書はコメントしています、さてなんて書いてあるかな?手許に聖書がある人は新約聖書のフィリピ4:6を開いてみてください。

『何事も思い煩ってはなりません。ただ、事ごとに祈りと請願をし、感謝をささげつつあなたの請願を神に知っていただくようにしなさい。』

つまり『ありがとう!』と『お願い!』を求める事ができるということですね。何かいい事があったら『ありがとう』、心に留まる何かや悲しい事とかがあるときは『お願い!』っていえる、そしてそれを神様は聞き入れてくれます。詩編の145:18~19を開いてみましょう。

『(18)神は、ご自分を呼び求める全ての者、ご自分を真実に呼び求める全ての者の近くにおられます。(19)神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり、助けを求めるその叫びを聞き、彼らを救ってくださいます。』

求める者には与えられる、これがキリスト教の基本中の基本です。とーっても有名な聖句ですが、ちょっと引いてみましょう。マタイによる福音書7:7を開いてみてください。

『求め続けなさい。そうすれば与えられます。探し続けなさい。そうすれば見いだせます。たたき続けなさい。そうすれば開かれます。』

と、こういっても「そんな事言ったって、僕、神に祈ったのに苦しいよ。与えてくれないじゃないか!」と思う人もきっといるよね。それについての答えも少し紹介するね。サムエル第1の16:7の後半と箴言14:12を開いてみよう。

『神のみるところは人のみるところと異なるからだ。人は目に見えるものを見るが、神は心がどうかを見るからだ。(サムエル第1 16:7)』

『人の道に廉直な道であっても、後にその終わりが死の道となる事もある(箴言 14:12)』

だからもしかしたら僕達とは違う視点で与えてくれているのかもしれない、もしかしたらタイミングをみているのかもしれない。そしてそれはきっと死の道には続かないもの、たとえ僕らの目にはそのときは廉直とみえなくても。ただこの事は覚えていてください、

『神の心は打ち砕かれた者の近くにおられ、霊のうちひしがれた者を救ってくれる(詩編 34:18)』

『わたしはあなた方を取り残されたままにはしておきません。(ヨハネ 14:18)』

どんな事があったって、僕らはひとりじゃないんですね。たとえ世界中がある人に剣の先を向けても、神様はそのひとを取り残されたままにはしないんです。

少し話がズレますが、ついでなのでちょっとだけ専門的な事を書きますね。ムツカシイ話はイヤ!というひとはこの段落は飛ばしてください(笑) 聖書の原本のなかに聖霊という言葉はいくつかの単語によってでてきます。そのうちのひとつにParakhitoV(ギリシア語)というものがあります。この単語は慰めるという意味のpara-kalewから派生していて、さらにこの言葉の原義をたどっていくと『そばに呼ぶ』という意味になります。つまり祈りによって与えられる聖霊は『そばにいてくれる主』なのですね。

さてさて、このあとさらに詳しく書こうと思ったのですが、それを始めるとやたら長い文で、読み手も書き手も大変になってくるので、今回はここまで。簡単な基本は押さえられたかな?(だったらいいなぁ・・・)また折りをみて続編を発表しますね。

さて、次回のBiblical memoのテーマは『十戒とクリスチャンの掟』。さて、クリスチャンにとって一番と二番に大切な掟とは???かんがえておいてくださいね^^

それではみなさんに今日も聖霊の祝福と加護が与えられる事を祈って。

2005.10.04 | Biblical memo | トラックバック(0) | コメント(0) |

秋風が頬をよぎる昨今、皆さん元気にしていますか?

実は僕は、昨日まで体を壊していました(汗)

この秋学期は自分の身の回りで少し色々ありすぎたので、無理がたたったかな?とおもってます。でも昨日まで仕事も学校も休み休みやらせていただいたのでもう回復しましたよ、元気です(笑)

ところで皆さん、夢ってみます?僕はね結構みるんですけどその夢のほとんどがあまり楽しくないものばかりなんですね。例えば

?誰かに追われる
?誰かに殺される
?何かの理由で他界する

など不吉極まりない夢ばかりなのです。だから目が覚めた時

ゼェゼェ・・・となるものばかりなのですが、今日、とても久しぶりに楽しい夢を見ました。それはね、

僕の聖書の先生が『Ti君この聖書大きくてたくさん参考資料も載ってるんだ。これを君にあげよう。』って新しい聖書をくれる夢

で、どこが楽しい夢?って??

だっておっきい聖書ですよ!(目が悪い+書き込みがたくさんできる)それに資料もたくさんですよ!(知識欲旺盛)しかも新品ですよ!(貧乏性)そんないい聖書がもらえる事って滅多にないですよ!!!

とおもったのですが、やっぱり夢なんですよね、絵に描いたボタ餅・・・ちと悲しいです(笑)

そうそう、biblical memoの『祈り』もうすぐアップします。祈りってなにかな?何故祈るのかな?どうやって祈るのかな?等色々考えておいてくださいね。

それでは、皆さんに今日も聖霊の祝福と加護がある事を祈って。

2005.10.02 | Days | トラックバック(0) | コメント(0) |

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