東海岸では風が一層冷たさを増す昨今、みなさんはおげんきにしていますか?
さて、前回祈りについて補足版を書いたのですが、なんとそれに関してコメント欄に質問がきていました!嬉しいです(笑)中身もとてもいい、しかも普段僕らが考えてもおかしくない質問なので解答はここでさせていただきます。ただ中身が非常に鋭いので僕の見識でカバーできるかどうかわかりませんが、極力聖書により頼みできる限りの解答を出すように頑張ります!
ただ本人の意思確認をとっていない上、ここに書かれていたとしてもその文の著作権は書いた人その人にありますので質問の直接掲載は控えさせていただきます。前のBiblical Memoのコメントをみてね!
それじゃあ、各々順に答えていくとしましょう。まずは一つめ、『祈りは漠然としていていいのか?』ということ。
もちろんオッケーです。声にならない祈りでも何でも聞き入れてもらえます。ガイドラインとしてマタイ6:9〜13がありますがこれはあくまでガイドラインなので、祈りそのものは自由であってもかまいません。僕は個人的に祈る時はマタイ6:9〜13を暗唱し、その後に個別の祈り、そして詩編よりあるフレーズを読んだ後『我らの頭イエスキリストの名を通して、アーメン』といっていますがこれは僕オリジナルのスタイルです。別に何かの形式に従う必要はないし、中身が定まっていないでただ『ヨロシクお願いします!』でも大丈夫です。前回一緒に考えたように聖霊が心の祈りを運んでいってくれますよ。
次に『戦争を画策した者に罰を、という祈りは聞き入れられるか』という中身について考えてみましょう。この質問は答えるのが非常に難しいです。というのは、質問者さん(不明さんなので以後Fさんとかかせてください)が神の裁きの公正を祈っているのか、もしくは悪人に対する憎しみを遂げたいと思っているのか、それとも報われなかった命を救いたいと思っているのかによるとおもうからです。
もし公正を心配しているのなら、そのところは大丈夫です。殺人に関して、神が愛する者たちを無下にする者に関しては、創世記から黙示録まで一貫して『その報いを受ける』と書いてあります。代表的な聖句を箴言から頂きましょう。11章5節を開いてみてください。
『邪悪なものは自分の邪悪さゆえに倒れる』
じゃあもし、失礼かもしれませんが、Fさんが憎しみでそうおもっているのなら?恐らく、僕は聞き入れてもらえないと思います。神は自分の子供がお互い憎みあうのはよしとしていません。むしろ他人が自分を憎んだとしても、その人を愛し許す事をすすめています(ルカ6:27〜38)。じゃあこの悲しみと憎しみはどうすればいいの?と思います?それは僕らが直接手を汚さなくても神が代わりにしてくれます。ローマ12:17〜21から考えてみましょう。
『(17) だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。(18) あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。(19) 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。(20) むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。(21) 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。』
このように報いを与えるのは神がきちんとしてくれます。僕らが良い事を、たとえそれをどんなに跳ね返されても、くりかえししていくのがその悪を行う者にもっとも効果的な策だと炭火の例えはいっているのだと思います。それよりも惨事でなくなった方々が神の御座の下に召される事を祈る方が効果的だと思いますよ^^。
Fさんは恐らく隣人愛に長けた人だと思います。互いのために祈る事は神が僕らに求めている事の一つです(ヤコブ5:16参照)。でも神からの愛を、自分の分を他人にまわせるか?というとそれはわからないかな?人を愛するという事はクッキーを配る事とは違うと思うんです。気持ちを割って配る事ってできるかな、とおもうと多分難しいと思うんです、まして公正を名乗る神ならそれはなおさらだとおもうんですね。でも神は祈りは聞き入れます、そしてたとえいきているうちに幸せななる事がかなわなかった人でも、また機会は与えられると思ってますよ。ここから先(死後の復活)というのはいろいろ教義の別れどころになるので突っ込んでは話しませんが、わたしは詩編34:18や51:17で述べられている事に偽りはないと思います。一緒に読んでみましょうね。
『神は心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ、霊のうちひしがれた者たちを救ってくれる。(詩編34:18)』
『神への犠牲は砕かれた霊なのです。砕かれ、打ちひしがれた心を、神よ、あなたはさげすみません。(詩編51:17)』
存在を信じるかはどうかは理屈や聖句で説明はできますが、あとは個人の選択も大きいと思います。僕は、たとえFさんが信じていなくても、神様はいつもFさんを愛し、見守っていると思いますよ。無理に信じ込まなくてもいいですから、もし信じられるような出来事があったら、是非感謝の祈りを捧げてくださいね^^。
これで質問にこたえられているかな?もしまだ質問があったらどんどん聞いてください!いつでも心待ちにしています!
それでは、Fさんと読者の皆様に神の聖霊から祝福と加護が降り注ぎますように。そしてFさんの望む、すべての人のに心と体の平和が与えられますように。すべての人の明日が輝かしい祝福に満ちた一日となりますように。分裂に一致を、懐疑に真理を、憎悪に愛をお与えください。我らの頭、イエスキリストの名を通して、アーメン。
さて、前回祈りについて補足版を書いたのですが、なんとそれに関してコメント欄に質問がきていました!嬉しいです(笑)中身もとてもいい、しかも普段僕らが考えてもおかしくない質問なので解答はここでさせていただきます。ただ中身が非常に鋭いので僕の見識でカバーできるかどうかわかりませんが、極力聖書により頼みできる限りの解答を出すように頑張ります!
ただ本人の意思確認をとっていない上、ここに書かれていたとしてもその文の著作権は書いた人その人にありますので質問の直接掲載は控えさせていただきます。前のBiblical Memoのコメントをみてね!
それじゃあ、各々順に答えていくとしましょう。まずは一つめ、『祈りは漠然としていていいのか?』ということ。
もちろんオッケーです。声にならない祈りでも何でも聞き入れてもらえます。ガイドラインとしてマタイ6:9〜13がありますがこれはあくまでガイドラインなので、祈りそのものは自由であってもかまいません。僕は個人的に祈る時はマタイ6:9〜13を暗唱し、その後に個別の祈り、そして詩編よりあるフレーズを読んだ後『我らの頭イエスキリストの名を通して、アーメン』といっていますがこれは僕オリジナルのスタイルです。別に何かの形式に従う必要はないし、中身が定まっていないでただ『ヨロシクお願いします!』でも大丈夫です。前回一緒に考えたように聖霊が心の祈りを運んでいってくれますよ。
次に『戦争を画策した者に罰を、という祈りは聞き入れられるか』という中身について考えてみましょう。この質問は答えるのが非常に難しいです。というのは、質問者さん(不明さんなので以後Fさんとかかせてください)が神の裁きの公正を祈っているのか、もしくは悪人に対する憎しみを遂げたいと思っているのか、それとも報われなかった命を救いたいと思っているのかによるとおもうからです。
もし公正を心配しているのなら、そのところは大丈夫です。殺人に関して、神が愛する者たちを無下にする者に関しては、創世記から黙示録まで一貫して『その報いを受ける』と書いてあります。代表的な聖句を箴言から頂きましょう。11章5節を開いてみてください。
『邪悪なものは自分の邪悪さゆえに倒れる』
じゃあもし、失礼かもしれませんが、Fさんが憎しみでそうおもっているのなら?恐らく、僕は聞き入れてもらえないと思います。神は自分の子供がお互い憎みあうのはよしとしていません。むしろ他人が自分を憎んだとしても、その人を愛し許す事をすすめています(ルカ6:27〜38)。じゃあこの悲しみと憎しみはどうすればいいの?と思います?それは僕らが直接手を汚さなくても神が代わりにしてくれます。ローマ12:17〜21から考えてみましょう。
『(17) だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。(18) あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。(19) 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。(20) むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。(21) 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。』
このように報いを与えるのは神がきちんとしてくれます。僕らが良い事を、たとえそれをどんなに跳ね返されても、くりかえししていくのがその悪を行う者にもっとも効果的な策だと炭火の例えはいっているのだと思います。それよりも惨事でなくなった方々が神の御座の下に召される事を祈る方が効果的だと思いますよ^^。
Fさんは恐らく隣人愛に長けた人だと思います。互いのために祈る事は神が僕らに求めている事の一つです(ヤコブ5:16参照)。でも神からの愛を、自分の分を他人にまわせるか?というとそれはわからないかな?人を愛するという事はクッキーを配る事とは違うと思うんです。気持ちを割って配る事ってできるかな、とおもうと多分難しいと思うんです、まして公正を名乗る神ならそれはなおさらだとおもうんですね。でも神は祈りは聞き入れます、そしてたとえいきているうちに幸せななる事がかなわなかった人でも、また機会は与えられると思ってますよ。ここから先(死後の復活)というのはいろいろ教義の別れどころになるので突っ込んでは話しませんが、わたしは詩編34:18や51:17で述べられている事に偽りはないと思います。一緒に読んでみましょうね。
『神は心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ、霊のうちひしがれた者たちを救ってくれる。(詩編34:18)』
『神への犠牲は砕かれた霊なのです。砕かれ、打ちひしがれた心を、神よ、あなたはさげすみません。(詩編51:17)』
存在を信じるかはどうかは理屈や聖句で説明はできますが、あとは個人の選択も大きいと思います。僕は、たとえFさんが信じていなくても、神様はいつもFさんを愛し、見守っていると思いますよ。無理に信じ込まなくてもいいですから、もし信じられるような出来事があったら、是非感謝の祈りを捧げてくださいね^^。
これで質問にこたえられているかな?もしまだ質問があったらどんどん聞いてください!いつでも心待ちにしています!
それでは、Fさんと読者の皆様に神の聖霊から祝福と加護が降り注ぎますように。そしてFさんの望む、すべての人のに心と体の平和が与えられますように。すべての人の明日が輝かしい祝福に満ちた一日となりますように。分裂に一致を、懐疑に真理を、憎悪に愛をお与えください。我らの頭、イエスキリストの名を通して、アーメン。
2005.11.21 | Biblical memo | トラックバック(1) | コメント(0) |
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まぁいきましょうか・・・
普通の日記ですが。。。
2005.11.21 17:06 | 日記

